春から続いた日本滞在は、すべて予定通りに終了した。その後半は訪書と称して、絵巻の書写を各地に訪ねるという、非常に恵まれたものだった。そのような長旅の最後の締め括りは、思わぬ形のものだった。友人、知人の心のこもった好意による最高のもてなしを受け、いまだ学界に報告されていない一点の書写の所在を教えてもらったのみではなく、その所蔵先に実際に連れて行っていただき、実物を心行くまで披いて見させてもらった。
訪れたのは、神保町にある中野書店。テレビ番組や新聞記事などにもよく登場し、新たな古本の町の姿を摸索し、これまでにはなかったやりかたを精力的に実践することで広く知られ、尊敬されている店である。見せてもらったのは、その店が所有している「後三年合戦絵巻」の模写である。かなり質の高いものだ。同絵巻の豊かな模写群にあっても他のものになんら遜色なく、丁寧に、贅沢に制作され、長い間大事にされてきたものだと一目で分かり、いろいろな意味で絵巻の魅力を伝えている。一方では、模写本の通例として絵師や過去の所蔵などに関する情報はなく、絵や詞など模写の内在の手がかりをもってどこまで作品の性格を推測できるものかと、まさに可能性を孕み、見る人を魅了するものである。
貴重な絵巻は、ほとんど無造作にガラスの展示ケースの中に入れられている。今時、どこの図書館やコレクションが購入しても、間違いなく恒温の書庫に保存される貴重書になるだろうが、その落差はあまりにも大きい。一方では、「中野書店デジタル美術館」と名乗って、同絵巻模写は高精度のデジタル画像に記録され、高質な再現ソフトに乗せて店頭に鎮座し、だれでも手軽に触れられるようになっている。しっかりと息づいている古典、すこしずつ変容し、再生していく古典というきわめて貴重な縮図を見た思いだった。
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