今週、取り上げたのはあの「羅生門」。同じく学生時代からさまざまな思い出を抱いてきたものだ。数え切れないほど読みなおしたはずだが、それでもクラスの中という設定となると、若い学生に教わるものが多くあった。
三十分ほど講壇を学生に譲ってあげれば、さまざまな読み方が提示された。その中の一つ、作品の中に登場した動物に焦点を絞った。ストーリの主人公に名前が与えられていない事実にあわせて、人間の動物本能が著者の意図の一つに違いないとの指摘だった。具体的に用いられたのは、下人と老婆の対面に現れた守宮と猿。なるほどと思った。しかもその目で読めば、短い文章の中には、きりぎりす、鴉をはじめ、情況や比喩で登場した動物たちの顔ぶれは、狐狸、犬、猫、守宮、蜘蛛、猿、鶏、肉食鳥と、じつに十と数えられた。もちろんさらにストーリの内容に関連する蛇と魚も忘れてはならない。そこでヤモリから始まったのだから、そのイメージとは、と問えば、農場育ちの経験をもつ若者が積極的に語り出した。しかしながら、どうやらプラスになるイメージはなかなか現われてこない。繰り返し問いただしたら、蚊を喰ってくれるぐらいかな、とあった。こちらはなぜかすぐに漢方薬の事を思い出した。
そもそも羅生門という用語は、興味深い。日本語での一番新しい用例としては、最近のとある演歌のタイトル、それもどうやら男らしいという意味で用いられたものだった。台湾での政治用語、中国映画での借用などと脈絡もなく紹介したら、学生は「Rashomon effect(羅生門現象)」と持ち出した。なんと英語ウェキペディアにも登録され(日本語ウゥキの対応項目なし)、しかも同じ構想をもつ映画九点、テレビドラマ三十六点も紹介された。羅生門という言葉も、まさに「ヤモリ」そのものなのだ。
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