大学の講義で、来週のテーマは織田信長。薄い教科書は、あのホトトギスのじゃれ歌を持ちだして、信長・秀吉・家康を並べる。まさにここ数日、とある週刊誌をめくってみたら、時事諷刺漫画の実例として「道外武者御代の若餅」を取り上げたのが目に止まった。戦国時代の三人の巨人について、こういうしゃれたアプローチが根強く楽しまれていたのだと、あらためて知らされた。
餅搗きの風刺画は、宮武外骨著の『筆禍史』に取り上げられたことで注目を集めたと聞く。それよりも、時事という文脈から離れて、遠く離れた歴史上の一齣を解説する一つの表現として読んでも、十分に楽しい。三人の人物の特定方法といえば、猿だけすぐ納得する。そこからさらに目を凝らして見れば、武家紋から信長と光秀が分かり、そうなればあとの人は家康にほかならない。一方では、餅というテーマは、それがお正月の付き物だと思い出されても、「御が代」との関連の必然性にピンとこなくて、おそらく江戸の人々の何かの感性に基づくものだろう。それにしても、鎧を纏い、家康となれば兜まで被っている姿と食べ物作りに夢中になるという状況との組み合わせは如何だろうか。天下取りに生涯を費やした人物たちだと分かっていても、このようなかなり無理の多い状況を目撃して、この上ない可笑しさを感じるのは、はたして江戸の感性なのか、それとも現代の思いつきだろうか。
ときはまさに奈良の正倉院展が終了を迎えようとしている。今年の展示では、家康が寄進した唐櫃まで出品されて、いささか話題を呼んでいるとの噂だ。しかもあの蘭奢待を切り取った信長、興味を持たなかった秀吉云々と、またもや三人の巨人の比較が語りぐさになっている。目の前の教科書へのまたとない注釈となるので、クラスで若い学生たちに紹介してみよう。
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