2013年12月14日土曜日

オバマ・コード

131214一つの短い動画が話題になっている。画面に踊りでたのはあのオバマ、語られたのはコード。しかしながら、ここの「コード」は法律や政治と関係なく、字面の意味の暗号でもなくて、あくまでもパソコンのソフトあるいはタブレット機械用のアプリを創りだすプログラミングのコードである。これを習おうと提案する有名人の一人に、オバマの名前が加えられた。アメリカ大統領からの公のメッセージとしては、なぜか突飛な感じをしてならない。

はたして普通の人々にはコードの書き方、あるいはその仕組についての基本的な知識が必要だろうか。はなはだ疑問的だ。一時期かなり書き続けた個人的な経験からすれば、パソコンのコードというのは、なにもみんなのみんなが触ってみる、試してみるようなものではない。そもそもソフトやアプリの作品とそれを構成するコードとの間にあまりにも距離が遠い。どんなコードにせよ、それが狙っている結果を実現させるには、特定の道具に頼り、その道具がさまざまな方針をもってコードの発想と構成を決めてしまう。言ってみれば、プログラミンは言語だと呼ばれても、その本質においては、約束事の度合いがかなり多い。そのため、道具は千差万別で、コードそのものも汎用性がなく、共通する基準など存在しない。加えて、実際のコードの規模は大きく、意味ある作業なら簡単に百行、千行を単位とするコードが必要となる。子供にでもできるなど、コマーシャル的な宣伝文句は頻繁に目に飛び込んでくるが、はっきり言って間違った先入観を植え付けてしまい、誤解をさせてしまうほうの不安が大きい。突き詰めて言えば、パソコンのコードは、文章を組み立てる文字とは根本的に異なり、そもそもだれでも分かるような文字の機能を狙っているわけではない。その意味では、まさに暗号そのものだ。

もともとオバマのスピーチには、「すべてのアメリカ人がコードを習おう」との副題が付く。すなわち国民全体に向かっての、教育をめぐる一つの発言である。とある集まりがあって、みんなの前でこの話題に振りかけたら、ある情報工学の老教授は、「自分がとっくに言っていても、だれも反応してくれないのに」と、わざとらしい苦言で一堂の笑いを誘った。しかしながら、その教授本人は、情報工学には未来がないとの持論を延々と展開したものだった。教育におけるコードは、教育のありかたを含めて、自明なようでいて、孕んでいる問題は大きい。

President Obama calls on every American to learn code

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