テレビのニュース番組から「反転授業」という言葉を知った。小中学校などで実験的に取り行われている試みで、かなり新鮮なものとして受け止められている。この言葉は、たいていの国語の辞典にはいまだ登場していないが、ウェキペディアを調べてみたら、三ヶ月ほどまえに登録されている。いうまでもなく、北米の現場では、均一した授業内容への期待が薄い分、かなり頻繁に採用されている。
大学の教室は、なおさらその通りだ。今学期に担当している文学のクラスでは、全体の五分の一程度の時間は、学生たちに講壇に立たせ、各自に調べておいてもらった内容を発表させるものである。今学期は、とりわけわざわざ大事な内容の一つや二つを関連の講義で避けるという方針を取り入れ、けっきょくはそれの半分以上のものは、きちんと学生たちがカバーしてくれて、大いに感心した。同じクラスは金曜日に最終講義を迎えた。最後の二回分の講義は、学期末レポートの口頭報告に当て、学生全員にそれぞれ五分の持ち時間を与えた。似たような口頭発表はこれまでも数回やってきたが、こんどははじめて大きめのタイマー時計を持ち込んだ。その効果はまさにテキメン。発表者も聴講者も一様に緊張感を持ち、教師としては余分なことを考えないでただただ質問を投げかければ良かった。それも学生たちの熱心な議論を言葉通りに割り込んでの、気楽なものだった。一つのささやかな仕掛けでクラスの雰囲気はこうも変わるものだと、あらためて実感させられた。
一方では、なにともあれ、大学の日程表などでは授業のことを間違いなく「レクチャー」と明記している。なにもかも学生に作業させたらいいということではけっしてない。しかもこれまで自分が受けてきた教育のせいか、どうしてもクラス全員にむかって一方的にしゃべってはじめて充実に教えた「気」がする。つぎの世代の教師たちはきっと違うと、密かに見守りたい。
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