論文集に投稿した一編について、使用する画像の掲載許可を取ってくるようにと編者から連絡が入った。いずれも中世の文献だとはいえ、出版やデジタル写真撮影を行った機関には敬意を払うべきだという意味では、たしかにその通りだ。許可を取ることははじめてではないが、集中して取るということはやはりそれなりの作業であり、緊張感をもって対応した。
使う予定の画像はあわせて十枚。所蔵者をリストアップしてみれば、八つの機関に数え、しかもきれいに公立国立の博物館、大学図書館、それに私立の文庫やお寺など、性格の異なるものにバランスよく別れた。おまけにアメリカの美術館まで入っている。まとめて問い合わせのメールを作成し、一気に発信した。その結果がすぐにも分かったことに驚いた。昼夜の時差があるにもかかわらず、二十四時間以内には半分、二日目に入ると六つの機関からの返事がすでに届いた。使用に関して有料、無料にかかわらずどこもいたって親切でいて、研究活動をサポートするという姿勢を前面におし出している。嬉しいことに、デジタル公開を積極的に進めている多くの公立機関は、学術活動での使用を一々許可を申請する手続き不要で臨むという体制に切り替わっている。それについて、国会図書館の場合、具体的な作品についての問い合わせを具体的に答えながらも新しい方針を説明してデジタル政策の啓蒙に努め、アメリカの美術館の場合は、サイトに公開されている法律用語をいっぱい綴った長文の説明のリンクを知らせるだけで、自己責任を促しながらも対応自体はあくまでも素っ気ないものだった。
許可取得の作業全体についていささか苦労したのは、むしろ最初の連絡先を見つけ出すことなのだ。日本の機関はとくにそうだが、責任部署の連絡先を明記しない、あるいはいまだにファクスのみの対応に徹するスタイルを続けている。やむなく明らかに関係ない部署にとりあえずメールを送り、責任者に転送してもらうという方法しか取れなかった。それに親切な内容にもかかわらず署名は部署だけで、責任者の個人名が記入されていない返事も複数もらった。日本らしい個人の役目や責任の取り方についての姿勢が垣間見られたように感じてならなかった。
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