今週のクラスで取り上げたのは、絵巻。個人の経験をふくめて話を進めて、70年代に入ってからのカラー印刷と出版がもたらしたインパクトを触れた。90年代生まれの大学生たちにはまったく実感のないもので、絵巻そのものと感覚的にさほど変わらない距離をもつ出来事だと気付かされた。一方では、かつて全巻カラー印刷の出版物に興奮を覚えた経験からすれば、いまオンラインで公開されている絵巻を見て、使い方などまで考えなくても、少なくとも画像の見やすさというもっとも基本的な意味で、印刷物をはるかに超えたものなのだと改めて感慨深い。
ただ、そうは言っても、デジタル画像はまだまだ安心して使えるものではないことも、これまた紛れない事実だ。素晴らしいものはどんどん現われてくる一方では、かつて公開されたものはいろいろな理由で消え去っていく。これには、まずはデジタル技術それ自体によるものが多い。九十年代半ばから公開されたものは、すでにサイズや色は満足に行かず、さらにそれらを載せるシステムの構築なども更新を必要となってくる。環境の許されるところではすでにかなりのやり直しの実例を見るが、貴重な古典を取り出して改めて撮影するといったことは、とても簡単に繰り返すものではない。しかもデジタル資料そのものへの考え方がすこしずつ変わる中、公開のありかたを見直す動きも少なくない。
身近には一つの具体例がある。慶応大学が運営している「世界のデジタル奈良絵本データベース」は、公開を終了した。理由は公表されていない。デジタル資料が盛んに注目を集めている今、このような形で資料群があっさりとアクセスから消えてしまう実例はさほど見ない。検索で調べてみても、利用を促す、発見を報告するリンクなどは多数残っているが、終了を取り上げる知らせや議論は見えない。しかも一時は最先端の実践として望まれるスタンダードを樹立したこのリソースは、けっして十分な評価を受けておらず、たとえば奈良絵本研究という一番緊密な学界からも利用、応用に関する報告はあまりなされていない。かつて数えきれないほどアクセスした一利用者として、残されたのは「来たり去ったり」という語りようのない感傷みたいなもののみなのだ、
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