クラスからの話題だ。今週学生たちと一緒に読んだのは、「西遊記」。あまりにも有名なものであっても、原文を実際に読んだ若者はおそらく一人もおらず、その分、一番典型的で、短く読み切れるエピソードを持ちだした。あの「白骨の精」の話。小説誕生までの流れ、近代になってはじめて現れた「她」の文字など、周りの情報をあわせて持ち出したりして、単なる妖怪話に終わらないように心がけた。
そこで、なんといっても「白骨の精」そのものだ。物語の中では、その姿は最後になってようやく明らかになる。孫悟空の如意棒に倒れされた妖怪は、骸骨の正体を現わにし、その背骨に「白骨夫人」との文字が書き入れられている。いささか芸のない結末なのだ。一方では、一つの文化的な記号にまでなった「白骨精」は、目まぐるしく移り変わる現代の中国において、どうやらまったく新しい意味を獲得したようだ。「職場」という言葉ーーこれも日本語からの外来語としてかなり普通の中国語に定着したのだがーーとペアに使われ、エリート女性を指すものとなった。その成り立ちは、いわば軽いのりの言葉遊びで、「白」領(ホワイトカラー)、「骨」幹(リーダー)、「精」英(エリート)との三つの言葉が集約されたとされている。言ってみれば、美しい女性の化け物という在来の恐れられ、嫌われるイメージから、美しい女性のリーダーという羨ましがられる存在となったのだ。言葉の変化という意味では、文字通りにマイナスからプラスへと、ありえない大転換を演じてしまった。
単純な言語の現象としても、これは実に妙な展開なのだ。懸命に考えてみれば、見立ては一つある。既成の概念に捕らわれず、ときには積極的にそれへの反動を模索することは、まさにいまの中国で共有されている思考パターンの一つだ。ならば、既成の言葉をわざと正反対の意味に用いるということもあるのだろう。ただし、そのように言われる人がこれを甘んじて受け止め、ひいてはこう言われることを愉しむという事実は、どうしても理解に苦しむ。
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