留学生として日本に渡ったころ、研究のテーマを「平家物語」とするという計画をはっきりと抱えて京都に住み始めた。それを知った忘年の友人は、京都到着から数日も経たないうちにはるばる訪ねてきて、観光と言ってあの寂光院に連れて行ってくれた。車で若干時間がかかる行き先だった以外、あとの詳細はすべて記憶の向こうに消えた。
あの時のことを思い出したい気持ちもあって、今月はじめの京都への短い旅行では、無理をして大原へ足を伸ばした。ただいざ決行してみると、市バスで簡単に行けて、かつ一時間四本も五本も運行されていることが分かり、現実と記憶との距離のほどにいまさらながら驚いた。そこで、ウキウキして寂光院に入ってみたら、大きな看板に細かく書かれた内容にびっくりした。なんと当時の寂光院はすでにない。15年まえに火災で灰燼と化してしまった。いまある本堂はあれから五年後に再建されたもので、そしてひと際大きな宝物庫はやや異様に鎮座している。説明文には、「心無い者」、「放火」など痛ましい表現が連なっている。関連の記事を検索して、犯人未逮捕のまま七年後に時効成立というような結末にはなっているのだが、こんなこと、あまりにも忌々しいからだろうか、お寺の説明文には一切記されていない。これはまるで、半世紀まえのあの金閣寺事件の再現ではなかろうか。静まり返った寂光院の境内に立ち竦み、内心深く愕然とした。しかしながら、この出来事は、どうやら世の中からの関心は小さい。周りの人々に聞きまわっていても、ほぼ一様に気付かなかったという答えだった。
個人的な記録を辿ってみれば、事件が起こったのは、京都での一年滞在を終えて、一家そろって帰宅した翌日にあたるはず。これだから日本からのニュースを丁寧に見ていなかったのだろうと、なぜか自分を懸命に説得して納得させようとする自分が、いた。
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