2015年3月21日土曜日

「震動が過ぎて」

来週、特別講義を頼まれ、東京をテーマに語ることになった。なにかの作品をベースにすれば伝わりやすいかと思い、分かりやすく、タイトルからにして東京を出す短編を取り上げることにした。内容は地震と関わるものであり、上のタイトルは、原作と関係なく英訳された短篇集の題名を日本語に戻した場合のものである。作者はあの阪神大地震と浅からぬ縁を持ち、かつそこから出発してこの短篇集を書き上げたのだった。

関連の写真などを眺めながら、もうちょうど二十年も経ったものだと、あらためて時間の流れを噛み締めた。あの瞬間を実際に経験した友人や知人には、数えきれないほど会ってきた。一方では、あのころはすでに遠く地球の裏側で生活を始め、恐ろしくて生々しい記録などは、衛星を通して入ってきたテレビ番組や、繋げたばかりの、テキスト一杯のインターネットを頼りに集めていた。やっとのことでたどり着いた情報をすこしでも周りの人々に分け合うようにすべてプリントアウトをし、それで時間を忘れてしまい、車に残した子供二人がすっかり騒ぎ出したことだけは、なぜか昨日の出来事のようなものだった。地震を話題にすれば、個人的にもあれこれとずいぶんとインパクトある経験を持っている。ただし若い学生たちを前にすれば、恐怖ばかりを煽るのではなく、地形変動の激しい土地だからこそ、温泉など人間の日常にはためになる豊かな資源にも恵まれることへの言及を忘れないようにしておこう。

20150321そのような日本に較べて、いまはたしかに地震のない土地で日々を送っている。地震の心配はたしかにないが、その分、四季も不正常なままだ。目下のところ、すでに夏時間に変わったにもかかわらず、ここ数日はまた雪やみぞれの連続だ。ただそれでも自然の造形は美しい。さきごろカメラを取り出して外に出かけたら、濃い霧の向こうに、くっきりと浮かびあがった氷のネットを捉えた。

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