短い京都滞在のうち、土曜日はメイン行事が行われる一日だった。デジタルを共通のキーワードとする国際シンポジウムに参加し、自分も短く発表の時間をいただいた。新しいプロジェクトに向け、わずかにスタート地点に立ったばかりで、簡単な構想を述べるに止まった。だが、それよりも新鮮なテーマを扱う多数の発表を聞き、とても有意義で、大いに見識を広めることができた。
とりわけ人文学に関連して、デジタルについての研究、特定の目的にあわせた技術の開発と環境の構築には、いまだ多く語るべきものがある。一方では、そのようなデジタル技術や、すでに構築された新たなリソースを応用しての研究は、いまや確実に増え、成果をあげている。中でも、資料や活動のデジタル化、アーカイブの構築、データーベースの作成といった在来のテーマに加えて、内容が限定された特定の研究が、デジタル環境を応用してしっかりと形を成したような成果はすこしずつ現われ、今度の会議でもいくつか報告された。それぞれユニークで、目的もアプローチも明確でいて、デジタル資料の性格を有効に利用して新たなオリジナル知見が得られている。デジタル環境がなければ成し遂げられない、あるいはそもそも課題自体が生まれてこないという実例に接して、ときどき感動さえ覚えた。
発表者など若い研究者と会話して、デジタル研究は、すこしずつ世に認められるようになり、かつ明らかに求められていると実感できたと、教えてもらった。まさに時代が変わったものだ。一方では、当然ながらまだ十分には至っていない。研究活動という狭い意味で考えていても、発表から評価までのルール作り、あるいは規範の明確化の必要性が繰り返し触れられた。在来の、雑誌に印刷して発表するというあり方は、一つの参照となるだろう。あえて言えば、デジタル成果への捉え方は、技術や環境が絶えず進化し、変化するなか、未熟で未完成なものも遠慮なく公に公表することが一つの文化となっている。それ自体にはやむをえないところもあるだろうけど、意図的に完成型を意識的に作りあげ、責任をもって世に送り出すことは、ますます重要視されるようになってくることだろうと、せつに願いたい。
0 件のコメント:
コメントを投稿