2016年4月16日土曜日

籌木と紙

遠く平安時代でのトイレ事情とは。このフレーズを出すだけで、すぐ素直な関心が集まる。カナダの若い学生たちを相手にする教室でも繰り返し取り出される話題の一つだ。とりわけ「餓鬼草紙」に描かれたあの有名な場面、今日まで伝わっていること自体が、一つの奇跡に近い。関連の書籍などをめくってみると、絵画資料の力に魅せられて、それこそ一つのスタンダードとして繰り返し取り上げられている。

それにしても、画面を見つめれば、解けない疑問は後から後から湧いてくる。たとえば、用便の後片付けに使われるあの小さな木切れ。呼び名は、たしかに籌木をはじめ、かなりのバージョンがあった。世界のどこかでいまなお実際に似たものが使われているだけに、その作りと用途などは分かりやすい。しかしながら、それがはたしてある種の繰り返しの利用なのか、それとも一度きりの使い捨てなのか、かならずしも回答は自明ではない。子どもがあたりまえのように手に握っていて、かつ地面に多数散乱されているところからみれば、使い捨てだろうけど、一方では、今日の考古学の発掘でトイレと思われるところで多数発見された籌木の実例から見れば、使い捨てにしてはあまりにも数が少ない。さらに、もっと不思議なのは、同じ地面において木切れとともに紙切れもほぼ同分量に捨てられていることだ。紙と木が同時に使われていた。あの時代は、紙とはかなり高級なものだったと理解されているので、両者の共存とは、なにを意味するのだろうか。

考古学の発見と言えば、トイレで見つかった籌木は、どうやら手習いの道具の再利用の実例もあったとされる(『水洗トイレは古代にもあった』、43頁)。紙が普及されたころには、手習いといえばもちろん紙だったに違いない。ならば「餓鬼草紙」の地面に捨てられた紙と木切れには、さらに手習いという共通項を持っていたことになる。いうまでもなく、それが同時期に行われたはずはなく、軽く数百年もの時間差があったことだろう。

古典画像にみる生活百景・便所

0 件のコメント: