2016年6月11日土曜日

男か女か

ここ数日、小さなプロジェクトに取り掛かり、「国文研古典籍データセット(第0.1版)」に収録されている「唐糸草紙」を読み返している。いわゆる御伽草子の一篇であり、これまで多くの本文研究などが施されている。当面の課題は、この国文研本の翻刻と読み下しであるため、本文の内容を注意深く読んでいるうちに、予期せぬ小さな発見もあった。

木版や書写本の形態にわたる多数の伝本が存在しても、本文レベルの異本間の違いは、漢字の当て字や仮名遣い(は・わ、い・ひ、を・お、など)に止まるというのは、この作品群の特徴である。しかしながら、それでも時にははっと思わされるような本文の齟齬が現われてきて、目を凝らして読み返し、理由をあれこれと推測せざるをえない。たとえば、「男」と「女」とが入れ替わっているのだ。国文研本に見る「万寿は男とも思はず十二三の者が」(下21オ)という一文は、通行の御伽草子では「女とも思はず」となっている(写真左、国会図書館蔵「からいとさうし」)。一方では、おなじところは男とする伝本もたしかにあり、写真右は霞亭文庫蔵「からいとさうし」の該当するところである。この文章の意味は、現代風に言い換えれば「大人にもなっていない小さな子ども」といったところだろうが、それでも「男」と「女」とを自由に取り替えられるという言語感覚は、やはりすぐには馴染まない。

なお、上記のデータセットには「国文研データセット簡易Web閲覧」を用いてアクセスしている。じつに軽快に動く電子データの閲覧環境が構築されていて、いま問題にしている箇所もここをクリックすればすぐに見ることができる。

0 件のコメント: