マイナス20以下の気温が続くなか、今学期の講義は無事に終了した。最後の二回のクラスは、学生による発表にあてた。新しい方法を案出し、読者を楽しませながら学習成果を披露するというものだった。そこに印象深い一つがあった。
取り上げられたテーマは、今度も芥川龍之介の「藪の中」。今度は、ストーリをいじりながら語り直すというものだった。そこでその新意というのは、なんとツイッター利用というものだった。ただ本もののツイッターに発信するのではなく、あくまでも真砂、多襄丸、武弘などの作中の人物に揃って疑似的に発信させるものだった。いわばツイッターのスタイルをふんだんに用いての、それぞれの発言をもって物語を再構成するというものである。同じ出来事をめぐる断片で、個人的な思惑や自己の都合に立脚する相互矛盾の言い分が並べ、それにより特異な空間を織り出すという芥川の文学世界の再現にまさにピッタリの着想だった。そこで繰り広げられたのは、パンチの利いた表現や予想しなかった証言などもさることながら、「@」や「#」などの意味ありげな記号などの活用があった。聞く者の笑いを誘い、しかもツイッターの熱心なユーザーほど、そのトリックに引き込まれたものだった。
時を同じくして、テレビ番組は今年のノーベル文学賞についての研究者たちによる過熱な議論を伝えている。そこで初めて気付かされたのは、音楽や演奏の場がなければけっして伝わらないから歌のセリフが文学ではない、という論法だった。そのような理屈に沿うならば、いまの実験はまさに純粋に文字を用いての実践なのだ。しかしどんなに成功したにせよ、これが歌以上に文学に近いと言えるのだろうか。興味深い質問だ。
2016年12月10日土曜日
ツイッターの使い方II
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