2010年1月9日土曜日

茶臼山古墳の銅鏡

ここ数日、新聞やテレビを賑わせる話題の一つには、奈良桜井茶臼山古墳における発掘成果があった。一つの古墳からこれまで最多の銅鏡が発見され、その数はなんと八十一枚に上ると報じられている。

いつごろからだろうか、銅鏡が映し出した卑弥呼が生活していた三世紀という、文字記録のなかった時代のことをロマンと定義して語られている。あまりにも情報がなくて、すべて想像に任せるという歴史事実への気持ちの現われだろうか。もちろんこれを研究の対象とすれば、想像や推測で対応するわけには行かず、たしかな物証が第一義的に要求される。そこで、今度の発掘では、中国の魏の年号(正始元、240年)の銘文が入った鏡まで確認できた。研究者、関係者の興奮は、想像に難くない。

100109テレビの報道を通じて、銅鏡特定のプロセスを初めて覗き、これまでまったく考えていなかっただけに、はっと思わされるものが多かった。この古墳の発掘は、これが初めてではなく、新たに見つかったのは、形を留まった鏡ではなく、サイズさまざまな破片だった。その数は三百点を超えた。墓に入れられて千年経とうと、銅の鏡がぼろぼろの砕片になることはなかろうが、長い歴史の中で盗掘などの災難に晒され、人為的な破壊がこの結果をもたらした。そこで、無数の破片をどのように復元するものかと、ついにおもちゃのレゴを連想し、余計なロマンが紛れ込まないかとつい心配してしまう。しかしながら、銅鏡は想像をもって組み立てるのではなく、これまで出土などで知られた実物に照らし合わせてゆくものだった。いわばないものを作り出すのではなく、存在してある実物のどの部分に当たるかを模作するという、逆の方向の確認だった。いうまでもなく最初から同じものが複数に作られ、しかも完璧に保存された実物が存在するということが前提なのだ。

模様が描かれた紙の上に置かれた銅鏡の欠片を眺めて、ついに絵巻のことを思い出す。原則的には一部しか作らない、たとえ複数に作ってもまったく同じものが望めない、作品そのものを繰り返し披いたり鑑賞したりすることだけで消耗されて形がすこしずつ変わってしまう。同じ復元といってもまったく違うことを意味する。媒体の違いがどこまでも大きいと改めて思い知らされた。

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