2010年1月16日土曜日

学生たちと漱石の夢を読む

大学で新学期が始まった。今学期の担当は、英訳で読む日本の現代文学。計38時間の授業で、予備知識ほとんどなしの日本語学習者に150年近くの激動を伴う日本の作家や作品を紹介する。かなりの挑戦であり、楽しみである。最小限の背景知識の講義を経て、さっそく夏目漱石に入った。取り上げるのは、自分が学生時代に愉快で苦い経験を味わった『夢十夜』である。

夢とは奇異なものだ。儚いもの、適えられないものの異名を持つが、「黄梁の夢」もあれば、冷や汗ばかり残る悪夢もある。漱石が語ったのは、あきらかに後者のものに属する。絶世の感性が成せるわざで、どこか今様のホラー話に通じる。漱石ワールドにおいて、いわば洒落な諧謔ではなく、じっくり読めば読むほどぞっとするような、一つのセンテンスですべてをぶち壊してしまう嗜虐な色合いが強い。そしてどれも精巧に組み立てられて、一枚の絵になる。細かくて、魅力的でいながら、論理がなく軽快に飛び跳ね、希望と失望、時間と空間、男と女、親と子、個人と家族が織り交ぜる。それも想念ではなく、奇想、妄想、狂想のオンパレードで、その中のどこかに、はなはだ個人的な記憶がぴったりと嵌め込めるから、不思議なものだ。

100116学生たちの一人ひとりの読みは、口頭発表や掲示板への書き込みなどをもって展開する。はたして漱石の思いを受け止められるのだろうか。思えば三年ほど前にあらたに制作された映画だって、漱石の姿を思い切ってデフォルメしたものだから、学生たちのどんな自由な受け止め方でも咎められないだろう。

漱石の夢という鏡において、どのような顔が映し出せるのだろうか、わくわくしている。

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