今週になって、小松茂美氏死去のニュースが伝えられた。小松氏の生き方をテーマにした新刊などが出たばかりということもあって、朝日新聞などの主要なメディアはいずれも大きく取り上げた。
絵巻の研究を志すには、小松氏の名前がおよそ避けて通れない。個人的にはつい一度も拝顔したことがないが、八十年代のあの「日本の絵巻」シリーズは、やはり絵巻に魅せられる決定的な理由だった。カラー印刷はいまだ高価なものだったなか、一巻の絵巻を空白の料紙の部分まですべて納めたことなどには、なぜか非常に大きなインパクトを感じ、おかげでたとえ原典を見ることが叶えられなくても、じっくり一点の作品に立ち向かう可能性が手に入ったと、そのときのわくわく感はいつまで経っても忘れられない。絵巻研究の基礎を用意してくれた小松氏には、つねに感謝の念を抱いている。
しかしながら、じつに不思議なことに、この小松氏を語るものは、なぜかつねにかれと「学界」との距離を強調する。しかもそれをまるで彼が非凡だとの証拠にと持ち上げる。ちょっぴり不可解だ。そもそも博物館職を全うし、研究などの実績をもって日本学士院賞を受賞された人物だった。その小松氏の編集にかかるシリーズものなどには第一陣の学者たちが競って投稿している。学会の集まりにあまりお出にならない、あるいは研究の不備を指摘する声がある、といったことは、この距離論の根拠にならないはずだ。そのような論調は、あるいは学界へ無理解、ひいては偏見によるものではないかと思えてならない。
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