2012年4月8日日曜日

デジタルの虫干し

週末にかけて行われた研究会の席上、発表者は一つのじつに興味深い表現を持ち出した。いわば「デジタルの虫干し」。日々変わり続けるデジタル環境に身を置かれて、それを仕事の大事な手助けとしながらも、これまでこなしてきた作業は、信じられないぐらいのスピードで置き去られ、いつの間にかまったくアクセスしなくなった。過去の産物になったデジタルものを取り出し、あくまで保存するという目でこれを「虫干し」するという発想、そしてそのような実際の実践は、まさに切実な課題であり、言葉の妙を尽くす。

発表者が実際に着手しているのは、むかしに作成され、いまは使わなくなった記録メディア、知られなくなったフォーマットで記録されたものを対象に、それらを現在汎用の記録メディアに移し、かつありったけの手がかりを使ってそれらを照合したりして、その中身を特定するという、聞くだけで気が遠くなるようなものである。いうまでもなく、この作業の直接な目標は保存であり、これまでの研究や制作の仕事の総点検などにはとても及ばない。それにしても、このような作業の大事さは、感覚的に聞く人々に伝わる。デジタルの環境が普通の意味で普及になったのはわずかに十数年、でもこの間に、周りのありかたはどれだけ変わってきたのだろうか。ずっとなんらかの形でこれに携わってきた者にとっては、まるで何世代も生き抜いてきた感じであり、しかも作り上げたものを存続させるためには、これまで以上にさまざまな形で智慧を働かさなければならないと実感している。そのために、デジタルの虫干しは、まさにデータを救う、拾う、再発見することを意味し、大きな研究機関などに止まらず、心ある個人一人ひとりも遅かれ早かれ真剣に取り組むべきものなのだ。

デジタル環境にめぐり、考えるべきことはあまりにも多い。しかも時間に追われる日常において、立ち止まって振り返る余裕は、意外と持たない。「虫干し」とは直接に関連を持たないが、最近ささやかな一文を纏めた。興味ある方はぜひどうぞご一読ください。

「デジタルの提言」(『日文研』48号より)

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