新しく担当した講義は、知らずうちに一つの楽しいスタイルが出来た。パソコンとプロジェクタが備え付けてある教室なので、クラスの最後の数分間、数枚の写真を取り出して、それを見せながら講義の要点を繰り返すものだ。そのクラスのつぎのテーマは、京都。自然にデジタル画像で洛中洛外図屏風を眺めてみた。数え切れない場面やエピソードが想像を心地よく刺激する。中でも、勧進の場面が目に飛び込んできた。
勧進とは、まずは何よりも布教を伴う宗教活動であり、その主体のお寺にすれば大事な経済営為であり、一人ひとりの僧侶たちにとっては精神も肉体も鍛えられる修行である。だが、それらの要素をすべて一瞬忘れさせるぐらい、屏風絵に描かれた場面は、一つの洗練された巧妙なプレゼンだったと見えて、なぜか大きく感心を覚えた。小さな団体に成しているわずかなメンバーは、それぞれはっきりした役割を担い、心得ている。先頭を走っている人は、差し出されたお金を受け取り、集団の最後いる人は、勧進主の名前を記入し、そのような長い名簿を一心不乱に読み上げる。一団はけっして黙々と移動するのではなく、大きな銅鑼を手にした僧侶は頭も上げないまましっかりしたリズムをたたき出す。そして、集団の中心に鎮座したのは、絵に描いた鐘であり、勧進の理由を分かりやすく周りに見せ付ける。周囲と一線を劃した服装、賑やかな音、虔誠な声、そのどれをあげてもこのグループの移動に従って辺りの視線が集まり、道行く人々は迷わずに懐を解き、真剣な眼差しを向ける。
しかしながら、大通りに向かって生活しているそこの住民からすれば、大げさな勧進は、これまた見慣れた風景の一つにほかならない。それを極端に象徴したのは、襖の隙間から顔を覗かせている女性の姿だった。僧侶たちの行列に明確な距離を保ち、はなはだ醒めた視線しか投げ出さなかった。勧進を一つの周到に用意されたプレゼンだと考えれば、その限界をまたきわめて象徴的に物語っているといわざるをえない。
e国宝:洛中洛外図屏風(舟木本)
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