2012年10月6日土曜日

挿絵に辿り着くまで

今週の授業の一つには、中国の古典を英語で読むとの内容があった。課題にあがったのは、明の白話小説『警世通言』の一話である。ストーリの内容もさることながら、それを伝える挿絵の画像をめぐって、楽しい経験が一つできた。

関連の解説などを読んだら、早くから江戸の書き手に翻案ものまで産出させたほどの名作だが、明のころに出版された底本は中国で早くも散逸し、三十年代になって熱心な研究者がそれを写真に収めて日本から持ち帰って活字印刷し、ようやく現代中国の読者にもたらしたとの美談が伝えられている。いまやそれは電子テキストの形で広く読まれている。しかしながら、明の底本には、四十の物語にそれぞれ一枚ずつの挿絵が添えられている。どうしても見てみたいものだが、中国側の資料ではなかなか見つからない。明時代のもので、それなりに貴重なはずだ。ただ上記の伝来経緯を思い出せば、よい印刷が望めない。古典美術の一環としての木版版画シリーズなどから当てて見るとのアプローチも考えられるが、気が遠くなるような作業である。

半ば諦めたところ、思わぬ形で嬉しい答えが湧いてきた。同じ底本は早稲田大学図書館に所蔵されていることが紹介された。「古典籍総合データベース」のことを調べたばかりだった。日本の古典ばかり注目していたが、中国古典の存在も見逃せない。さっそくカタログにアクセスし、目指すものはあっけなくモニターに飛び込んできた。

121006いうまでもなく同じ絵をさっそく教室に持ち込んだ。ストーリの説明になったばかりではなく、版本の姿までちらっと見せられて、すくなくとも数人の若者の興味を確実に誘った。一方では、絵の内容をめぐって、自分の好奇心がしっかりと満足できたことも付記しておこう。ストーリの主眼となる「山亭児」とは、はたしてどのようなものなのか、英訳を読むまで見当がつかなかった。しかし、絵はそのような疑問を完璧に答えてくれた。まさにこれ以上ない最高の図解だった。

学生時代、先輩たちに見よう見まねで古典の勉強を始めたころの思い出の一つに、数ある現代注釈のシリーズの内容や性格を理解し、記憶すべきだというものがあった。時代が変わり、いまならそのようなシリーズに加えて、デジタルリソースにもしっかりと目を配るようにしなければならないのかもしれない。

『警世通言』(第三十七話)挿絵(早稲田大学図書館蔵)

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