新学期が近づき、あれこれと講義の準備を始めている。今年の担当の一つは、近代文学。英訳が読めるということが条件だが、それでもやはり自分が受けてきた教育が大きく影響して、どうしても漱石や芥川あたりを持ち出したくなる。そして、そうなれば、あの「青空文庫」の存在が大きい。最近には、汎用のブラウザ仕様の縦書きサポートまで開発され、それに載せれば、読みものがまさに横に開く文字の巻物さながらに展開されてくる。大きな文字サイズも加わり、並たいていの文庫本よりはだいぶ読みやすくて、見えが良い。
いつの間にか青空文庫はすっかり一種のスタンダードになった。面倒な著作権の議論をきれいにすり抜けて、名作に気楽に、気軽にアクセスさせてくれるということで、どれだけ社会に恩恵を与えていることだろう。このころ続出する電子リーダーなども、まずはこれを取り入れることによって最小限のものを用意し、電子読書を実際に体験させている。そして、これのおかげで、世界で見ても、日本の名作のデジタル化がさほど遅れていない結果になった。一方では、古典作品が対象になっていることはやはり気になる。どこまで読まれるかという読者側の問題もたしかにあるだろうけど、古典の名作があまり知られていない近代の作家の習作よりも読者が少ないとはとても考えられない。底本の問題だって、著作権切れのものが十分に存在しているはずだ。なにかの形で始められないかと、願ってやまない。
このようにあれこれと考えているうちに、青空文庫の創設者の訃報を読んだ。しょうじき驚いた。関連の報道などは、青空文庫創設が1997年だとくりかえし伝えている。思えば、あの時期に個人的にも近代文学の名作をデジタルにして公開するような試みをし、その中で青空文庫の存在を知って、まとめてやっている人がいるのだと、ほっとした記憶をいまでも覚えている。しかしながら、その創設者の名前を知っていても、公開講演を聴くなどの機会もなかった。残念でならない。
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