久しぶりに映画館に入って日本の映画を見た。海外文化事業としての放映で、「天地明察」だった。ベストセラーがさっそく映画になったことを前から知っていたが、こんなに早く外国で見られるとは嬉しいばかりだ。
とりわけ時代劇を内容とする映画は、絵巻のようだとよく言われ、そして製作者もおそらくかなりそのように撮り方などで工夫をしていると思う。この映画もその通りだ。いくつかの場面は、思わずその美しさに唸り、あるいは構図に一人合点して内心微笑んだ。一方では、絵巻の感覚を働かせて映画を鑑賞すれば、なぜかまっすぐに思いに浮かんできたのは、まるで断簡になった絵巻のような作品、あえて言えば、断簡映画だったという言葉なのだ。たしかに上下二巻で刊行された小説を二時間のドラマに仕上げるのは、どう考えても至難な業だ。大事なストーリの内容を割愛したくない、それなりの山場も見せなくてはならない、などの理由は分からないものではない。それでも、どうしても首を傾げるものが多かった。りっぱな天文観察所の襲撃は、それをなし得る勢力の存在が分からず、まったく無説明とはどうしても納得ができない。主人公が頼りにしていた人物が、刀を抜き出して主人公の首に当てることなど、激高した会話以外、まったく必然性はない。そもそも日食とは、暦の正誤を証明してみせるのには確かに雄弁なのだが、それを何回も経験できたことは、すでに幸運だと言わなければならず、その上当の主人公夫婦は、まったく歳を取らない。あれもこれも、まるでいくつかの画面が知らずに失われた絵巻と対面しているような感じをしてならない。
そもそも映画というものは、ツッコミを入れてはならないものだ。そのような暗黙の理解を無視したら、それこそヤボというほかならない。それをたしかに承知はしているが、それでもこう考えざるを得ないのは、この映画をあまりにも期待し、長く楽しみにしていたということの裏返しだとしよう。
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