2014年4月5日土曜日

言語習得の理論と実践

勤務校ではあれこれと変化が起こっている。身近な出来事の一つに、所属している学科は他の学科と統合して倍の規模になり、名前も変った。行政的に発効されたのは去年の七月からのことだが、二日まえから、二日連続のささやかな学科新設の記念行事があった。言語学と五つの外国語が集合されたので、アメリカから言語学と外国語教育の研究者を一名ずつ招待して、合わせて三回の講演会が開催された。

言語学と外国語教育は、至近距離にあるようでいて、まったく違う分野である。そういう意味もあって、互いの分野の人をも相手にしながらの講演や議論を聞いていて、あれこれと興味深い。中にはこのような一齣があった。言語学の学者は有名な理論を紹介して、言語習得は幼児からでなければならない、一定の年齢を過ぎたらもう無理という仮説を紹介した。これに対して、外国語教育の学者はすかさずそれ自身の経験を持ちだして、十七歳からはじめて勉強を始めたにもかかわらず、いまはその言語の教師として誰にも引けを取らないとのことを持ちだした。もともと和やかな場で論争を披露するのではないから、このような鮮明な対立でも、「自分はきっと例外だったに違いない、晩熟したものだった」と、いかにも優雅に紛らしたものだった。その通りだろう、成年になってから外国を学習してそれを熟練に操る人や、逆に子どものころからしっかりした生活や教育を経験しても母国語を満足に使えない人、いやというほど知っている。ただ、一つの影響力のある理論は、どのような実際の反例があったにせよ、特定の文脈の中で検討され、展開されてきて、人々の認識にきちんと貢献していることも、疑えないことだろう。

個人的には、就職したその日から所属の学科には「東アジア研究」という名前が加えられたもので、それが一つのひそかな自慢だった。それもいまや過去の歴史となった。ただただ時の流れを実感させられるものである。

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