三週間ほど中国に滞在することになっている。しかもここ数年の似たような旅と違って、今度はちょっぴり遠くへ出かける。今週は、泰山の南にある滕州にやってきた。地元の人々からの大いなるもてなしを受けて、いろいろと見識を広めた。印象に残った場所の一つには、滕州漢画像石館がある。いまなお立て続けに漢の画像石を発見し、まさに現在進行形で漢の画像資料を見つけ出し、発掘した場所で美術館を建てるなど、生きている古代文化の伝承には、さすがにわくわくさせるものがあった。
画像石館で目に入った小さな一点を記しておこう。「水榭垂釣、庖厨」と名付けられた画像の一角には、一釣りで三尾の魚を釣り上げるという幻想的な構図に並んで、魚を調理する様子が描かれている。三つの場面に分かれて、魚を確保したところ、それを籠に収めたところ、そして魚を籠から取り出してまな板に移したところ、まるでアニメに見られる分割された三つの連続した画面のように配置されている。数年前の論文に、絵巻の文法を論じて、その中の一節には「異次元の時空」と述べた。それとはまさに完璧に対応する構図なのだ。いうまでもなく、異次元と呼ぶ理由とは、絵巻の中の物語を伝えると同時に、次元の違う、特定の行動について表現するということにある。その通りだとすれば、ここには物語という次元がないだけに、この称呼は使えないのだろうけど。
漢の画像と鎌倉時代の絵巻、両者の関連性はあまりにも離れている。それにしても、とりわけ中国のことに感心を持つ人なら、やはり親近感を覚えさせるものなのだ。来週の旅先は、西安。絵巻の話をすることになっているので、これをさっそく披露したい。一方では、漢の画像石全般に言えることだが、タイトルはあくまでも現在の研究者が便宜につけたもので、どれも漠然としたものに聞こえてしまう。滕州の美術館でも、館蔵のものについて所蔵品の番号はないのかと訪ねたが、そのような必要性に対しての理解はまったく得られていなかった。いささか残念だと言わざるをえない。
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