2007年12月9日日曜日

BIOMBO

大阪に出かけて、天王寺公園の中にある大阪市立美術館にて「BIOMBO/屏風」と題する展覧会を見てきた。日常の実用性を兼ねながら、その時代の美意識を凝縮した膨大な作品群には、つねに惹かれる思いでいるが、このような規模の展示に対面して、やはりいろいろなことが教わり、教科書や美術書の写真で見るのとはまったく違うレベルの視覚衝撃を受けた。

展覧会のタイトルには「BIOMBO」とローマ字を先に持ってきた。ポルトガル語であり、スペイン語にもなった語彙である。なるほどローマ字表記の言葉を求めるものならば、「folding screen」といった説明調の英語や、「byobu」といった音を記録するような表記よりは、たいそう重厚感がある。ただし、ここではあくまでも日本の人々の目を意識したものであり、展示の重要な要素である「海外からの里帰り作品」とのことを強調しようとしたものだろうと推測する。

展覧会を見て、思いに残ったものはたくさんあった。当麻寺の「十界図屏風」は初めて実物を見た。作品のテーマと、屏風という装飾性との性格との対立は、やはり過剰なほどに色彩を施された実物の前に立って見ないと、得られない認識がある。物理的なサイズを実感して、ようやくそこに描かれたストーリを追っていく読者としての余裕に共感できる感じがした。先学の研究をあらためて思い起こす。

これまで知らなかったことは、数えてみればあまりにも多かった。屏風の実用性として出産の場があった。それも白いものが用いられるとの仕来りが絵巻の画面で教わり、出展の中にはそのような豪華な白い屏風がじっさい一点入ったのが、感動だった。海外に持ち出された屏風は、いわゆる「流失」ではないケースもあったことに気づく。外交の場における物の交流があり、それも軍艦を受けたことへの返礼が屏風であり、かつその屏風は今日まで大事に保存され、里帰りが適えられたとは、感無量だった。思うに当時もらった軍艦は、遠の昔どこかに消えたに違いない。そのような政治的な用途が含まれた屏風であれば、作成はただの美術品という枠では縛られきれず、草案と、政治や権力者に許可をもらうための関係書類が一堂に集まり、展示企画者の手腕に頷く。

屏風の名品のかずかずの間に、「石山寺縁起」「桑実寺縁起絵巻」といった、こちらも絵巻物の一流品が、ただ屏風のありかたを傍証するためにだけなにげなく会場に置かれたのには唸った。そして、数多くの里帰りの作品の中には、シーボルトコレクションのものまで含まれた。ライデン国立民族学博物館を訪ね、学芸員に親しく展示を紹介してもらったのは、たしか1998年の秋のことであり、すでに十年近い時間が流れた。

「BIOMBO/屏風」展は、今週の終わりまでだ。

大阪市立美術館・特別展のご案内

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