2007年12月1日土曜日

ソウル紀行

私は現在研究休暇で東京に滞在している。先日、ある小規模の国際研究集会に参加するためにソウルを訪ねた。約五年ぶりの韓国旅行で、数々の思い出が出来た。

日本の中世文学をテーマに日本で研究生活を送ると、ふだん会話をしている周りの人間は、どなたもいわゆる国語国文学出身で、日本語とはきわめて遠い存在である。しかし韓国へ渡ってみると、新しく出会った人も、久しぶりに会う古い友人も、みんな何らかの形で仕事として日本語教育に携わっている。いわば同業者の思いを分け合い、自然と会話が弾み、そして内心、周りの看板など見た目以上に外国に来たとの実感を受けた。

韓国人の日本語レベルは高い。言語的に日本語と韓国語が近いなど、繰り返し議論される話題ではあるが、それでも実際の様子を伺うと、やはり驚くばかりだ。たとえばつぎのことを教えてもらった。日本語を専攻とする大学生の多くは二、三年生の時点で日本語能力試験一級に合格してしまう。ほとんどの大学は、一級合格をごくあたりまえのように卒業の必須条件とし、それをどうしてもクリアできない生徒には、代わりの試験を用意したりしてフォローするような政策もあるが、あくまでも例外とのことである。日本国内では、一級合格は、留学生にとって大学入学のための基準だということから考えて、当たり前といえば当たり前だ。でも、カナダで日本語を教えていて、それがどれだけ難しいことかは、身をもって知らされている。

一方では、大学での講座設置の様子などを尋ねたり、観察したりすると、日本語関係の学科はほぼ例外なく日本語を外国語として習った韓国人が中心となって運営し、しかもその中では男性教官の数が圧倒的に多い。それに対して、母国語話者の日本人は、あくまでもお雇い外国人として大学の教壇に立つ。だが、それにもかかわらず、日本からやってきた先生方は、韓国の魅力に惹かれて、つい永く居てしまう。いうまでもなくそのような先生たちは学生にこよなく愛され、電車とかで偶然に出会う先生と学生との流暢な日本語での会話を傍から見て、やはり心温まる光景である。

いまや韓国では日本ブームといわれて久しい。実際にソウルの街角を歩いていても、それを実感することができる。われわれ十数人の小グループは、電車を使って会場への移動を繰り返し、どこでも遠慮なく日本語で会話をするが、それでもさほど周囲からの特別な視線を感じない。繁華街や地下鉄の看板などは外国語を併記し、それがほぼ韓国語、英語、日本語、中国語という順番を保つ。だが、実際に市場などの人々に会話を持ちかけると、英語よりも日本語がよく通じる。夜遅くまで繁華街の道端の特設ステージで歌や踊りのパフォーマンスが続き、登場するアイドルたちの服装や仕草には、やはり日本の影響が目立つ。一方では、新聞や書籍の文章からは漢字が急速に消滅した。古典資料では韓国の文献も漢字頼りに親近感を持っていただけに、どことなく寂しく感じた。

短い滞在の最終日、すべての活動が終わったあとの真夜中近く、親しい韓国人の友人に案内していただいて、清渓川の川沿いを散歩した。ソウル市内の幹線道路を取り除いて古い川を再現して、二、三年前に完成したとのこと。韓国の底力を覗いたような思いだった。

Newsletter No. 35・2007年12月

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