いまやマルチメディアとはまさに時代の寵児だ。インターネットというかつてない通信手段は、まるで生命の水のように社会生活のあらゆる分野を縦横無断に流れ、人間の記録と交流のありかたを変貌させる。一方では、絵巻という古来の美術、文学の媒体は、その本質においてはなはだマルチ的なメディアだった。物語を文字と絵という二つの形態で記し、その文字をだれかに読み上げてもらいながら絵を目で追っていくことを享受の王道とする絵巻は、まさに音声、画像、文字といったメディアをフルに生かし、それの合成やハーモニーを楽しむ表現の手段だった。
そして、絵巻とマルチメディアが出会う。
性格がまったく異なるこの二つのメディアが交流しはじめると、どれだけの可能性が生まれることだろうか。それを一つひとつ数えてあげると、無限なような感じさえする。だが、すべてのことはすこしずつ展開するものだ。無限な可能性でも、いっぺんに実現するはずがなく、むしろ単純な作業を確実に始めなければ、物事は始まらない。
例えば、御伽草子の作品を全点の内容をウェブページに公開すること。
これを説明するには、やや絵巻の「研究史」を触れなければならない。そもそも絵巻の研究がこれだけさかんになったのは、いまから三十年ほどまえに刊行された『日本絵巻大成』に負うところが大きい。それまで美術館などに行って、特別な手配をしてもわらなければまずその全容が分からない絵巻は、フルサイズ、フルカラーで出版されて、読者がさまざまな角度や視線でそれを眺めることが可能となった。さらに同じ出版社は、同じ写真を使って、廉価版、縮小版と違うスタイルのシリーズを出して、これの普及にはいっそう拍車をかけた。一巻の巻物が知られるようにするためには、まずはそれを読者の手元に届けられるようにしておかなければならないと、実に単純な事実だった。
絵巻への関心の目は、やがて16、17世紀の後になってもなお作り続けられた作品、そしてそれらの作品と平行する御伽草子に向けられる。だが、ここでやや事情が違ってくる。13、14世紀の、いわゆる一流の絵巻の作品に比べて、これらのものは、まずは比較的新しい。それに加えて、製作技術の進歩により、同じ作品が複数に作られたとのケースが多く、その分「美術的な価値」が劣る。おまけに現存する作品の点数は多く、現代の出版の事情は厳しくなる。これらのもろもろの要素を数えてあげると、あの絵巻のシリーズのように一群の御伽草子が写真版となって読者の手に届けられることは、まずは考えられない。所蔵者のところに足を運ばせて特別な配慮をしてもらわないと作品の全容が見えないとの事情は変わらない。
そこで、インターネットにて御伽草子の画像を求めることが可能となった。
結論から言えば、現在インターネットでは、すでにかなりの分量の御伽草子の画像が公開されている。最近、興味があって調べてみると、大学や公立の研究機関、美術館などを中心に、すでに約15000枚の画像が公開されている。しかもこの数はいまだ増え続けている。公開の機関が各自違う方針でやっていることで、スタイルも目的もまちまちで、縦横に検索することもけっして簡単ではない。第一、画像のサイズがそれぞれ違って、多くのところではわざと小さいものを置くという方針を選ぶ。しかしながら、それでも普通の出版物で掲載された写真には劣らない読みやすさだ。言ってみれば、インターネットのお陰でもう一つの資料群が身近な存在となった。これからは、御伽草子の研究を始めようとしたら、まずはオンラインの資料群を活用しなければならないというのが、新たな常識になったと言いたい。
この話題は、もうすこし続けてみたい。
京都大学電子図書館・絵巻物・奈良絵本コレクション
世界のデジタル奈良絵本データベース
2007年12月12日水曜日
ウェブに御伽草子の画像を
Labels: マルチメディア
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